三田用水
週末の夜は、やはりタモリ倶楽部でしょう、ということで、一杯やりながらテレビをつけたら、今週は江川達也先生をゲストに「三田用水」の跡を歩くという特集。あいかわらずこの番組はためになるなあ、と感心しながら観ていて、お隣の品川用水のことを思い出しました。
東京で名前が残っているなんとか用水というのは、もともとは江戸時代に開かれた灌漑とか治水のための用水路なわけですが、私が子供の頃、近所に、まだ拡幅される前の補助26号線が通っていて、あるとき道路工事か何かで道の端のアスファルトが剥がされると、その下から川のような流れが出現して、びっくりした覚えがあります。近所の大人が、これが品川用水だよ、と教えてくれたのですが、学校で習った地域の歴史の痕跡がこんな身近にあることを知って、ちょっと感動したものでした。今はもちろんきれいに舗装されその名残はありませんが、地図を片手に流れの跡をもっと辿れば、今回の三田用水のように、マニアックな世界が楽しめるかもしれません。
<参考:品川区のホームページより>
「品川用水が幕府の費用で開鑿 (かいさく)されたのは寛文9年(1669)のことでした。この品川用水は、玉川上水を境村(今の武蔵野市・境)から分水していた仙川用水を野川村で分水し、品川領の9宿村を潤していったのです。」