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2008.08.09

海軍乙事件

終戦の日が近づいたからというわけではないのですが、8月はどうしても戦争関連のものに手が伸びてしまいます。

ということで、吉村昭「海軍乙事件」です。文春文庫の新装版は字が大きくて確かに読みやすい。

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乙事件とは、太平洋戦争終盤の昭和19年春、パラオからフィリピン・ミンダナオ島のダバオへ向かっていた海軍の二式大型飛行艇(二式大艇)2機が、フィリピン到着直前に悪天候に阻まれ遭難、連合艦隊司令長官の古賀峯一大将が殉職、福留繁参謀長ほか数名がセブ島沖に不時着して、ゲリラに捕らえられ機密書類を奪われた事件をいいます。

「福留中将と山本中佐は、Z作戦計画書と暗号関係の図書類を入れた防水書類ケースを携行していた。むろん敵手におちるおそれがある場合には海中に投棄しなければならなかったが、カヌー上の現地人に不穏な気配は全く感じられず、ケースを海中に沈めることはしなかった。」

しかし実際は、その書類はゲリラから米潜水艦の手を経てオーストラリアの陸軍情報部へ届けられ徹夜の翻訳作業ののち海軍情報部へ送られました。これにより日本軍の手の内は連合国側の知るところとなります。さらに彼らは、それらの書類を入手しなかったかのような偽装まで行います。

一方わが国の海軍上層部の対応は、書類の紛失よりも、福留中将たちが「捕虜となったか否か」ばかりに終始し、防諜という視点を全く欠いていたのでした・・・

本書には、乙事件と対をなす「海軍甲事件」という短編も収録されています。甲事件とは、乙事件の約一年前、古賀長官の前任の連合艦隊司令長官である山本五十六大将が、ソロモン群島において航空機で視察中に米軍機の待ち伏せを受けて撃墜された事件です。

本作では山本長官の護衛に付いた6機の戦闘機のパイロットの一人(柳谷飛行兵長)の視点から事件が描かれます。この長官機撃墜に関して、例えば著名な戦史通は対談で

「半藤:このとき護衛機のゼロ戦は六機ともみんな無事だったんですが、なぜ護りきれなかったのかと後で批判されます。」
「保阪:それで、生き残った人は制裁として最前線に送られて次々に戦死してしまいます。」
<文春新書「昭和の名将と愚将」(半藤一利+保阪正康)>

と一言で片付けられていますが、吉村昭は綿密な取材を元に彼らのその後に目を配ります。

「柳谷たちに対して、責任問題は起こらなかった。六機の護衛機で十六機の敵機の攻撃をふせぐことは事実上不可能であった。
そうした事情を理解していた上司たちはかれらの責任を問うことはなく、一般の隊員たちも柳谷たちの不運に同情することはあっても非難する者はいなかった。」

海軍が気にしたのは、護衛の責任問題ではなく山本長官死亡という情報の秘匿の方でした。そのあたりの事情は、生存者である柳谷氏への取材記録として、同じく文春文庫の「戦史の証言者たち」に詳しく載っています。

暗号が解読されていることなど露知らない東京の大本営の偉い方々は「なぜ護りきれなかったのか」と憤ったのでしょうが、事情がわかる現場では当事者たちへの気遣いや労りがあったのでしょう。

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