墜落の夏
日航機が御巣鷹山に墜落して20年。
あの第一報が流れたとき時、自分はどこにいて何をしていたか、よく覚えている方も多いと思います。
私は、出張で岩手県の一関におりました。
駅前にあるホテルサンルートでNHKの画面をずっと見ていたのですが、キャスターの木村太郎氏が、500人以上の名簿をちょっと読んでは「まだ読むんですかあ?」という現場記者の声に対し、「皆さんが今一番知りたいのはお名前ですから、読み続けて下さい!」とたしなめるように言ったシーンが印象的でした。
このエピソードは波紋を呼んだようで、記憶している方もかなりいるようです。昨日もある知人から次のようなことを教えていただきました。
「85年8月20日の朝日新聞に『乗客名と会見、どちらが大事か』という囲み記事があって、NHK・NC9でのやりとり・・・木村太郎キャスターが大阪空港で取材していた記者に向かって『名簿の読み上げをそのまま続けて』と言った一件について触れられている。記事には「記者クラブで発表されるコメントに依存する感覚は、テレビ報道の成熟の中でもう卒業したはずなのに、この『まだ、読み続けますか?』の一言に象徴される感覚には、正直いって落胆した」とある。」
事故について書かれた書籍は多数ありますが、とりあえず事故の全貌を把握するのに適した本として、「墜落の夏(吉岡忍)」があります。
本書の注目は、生存者の落合由美さんのインタビューが詳細に載っていること。そして、墜落直後に、彼女の周囲には生存者が多数いたと思われる様子が語られています。
「突然、男の子の声がしました。「ようし、ぼくはがんばるぞ」と、男の子は言いました。学校へあがったかどうかの男の子の声で、それははっきり聞こえました。」
というくだりを読むと、胸が締め付けられるとともに、なぜもっと早く救助できなかったのか、という疑問と怒りがこみ上げてきます。
奇しくも事故からちょうど20年目にあたる昨日(時刻も同じく夜)、JALウェイズ機がエンジンから火を噴き金属片を住宅地にまき散らすという事故がありました。日付の符合は偶然だとは思いますが、何か因縁めいたものを感じた方も多いのではないでしょうか?
<追記>
昨日(17.8.12)の朝日新聞の記事より。
「急減圧なかった」 日航機墜落、事故直後に生存者証言
当時の運輸省航空事故調査委員会(事故調)は、後部圧力隔壁の修理ミスが主な原因と結論づけたが、遺族や航空関係者の間には疑問の声が消えない。
客室乗務員として専門的な知識と経験をもつ落合さんは「急減圧はなかった」と繰り返している。一方、当時の事故調委員長は「結論には自信をもっている。証言は証拠より信用度が低い」
真実はいったいどこに?